アプリコ武蔵小金井お花見会 三話編 武蔵国分寺跡
アプリコ武蔵小金井お花見会、ここでお見せ致します武蔵国分寺跡最終話です。
武蔵国分寺跡
武蔵国分寺跡は、東京都国分寺市西元町・東元町にある古代寺院跡です。
武蔵国分尼寺跡を含んで国の史跡に指定されています。
奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の国で国を安定させるために諸国に国分寺の建立を命じ、武蔵国
では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画
的に配置された。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとは認められ
ており、大正11年に国指定史跡に指定されているそうです。(調べ)
桜の前で撮影会
武蔵国分寺跡にはこの様な所があります。
七重塔跡
七重塔跡は、金堂・講堂跡から東方200mのところに位置します。
塔は、「金字金光明最勝王経(きんじこんこうさいしょうおうきょう)」を安置する国分寺の重要
な施設だそうです。3間(約10m)四方の礎石建物で、高さは約60mほどあったと推定され、現在、
中央にほぼ穴(心柱を受ける穴)がある心礎を含め7個の礎石残っています。
国定である「続日本後紀」に、承和2年(835年)に七重塔が雷火で焼矢し、復旧ができなかったの
を、前の男衾郡(おぶすまぐん・現在の埼玉県比企郡付近)の大領(たいりょう・長官)である壬生
吉志福正(みぶのきっしふくしょう)が再興を願い出て許されたと記されています。
発掘調査では、塔が創建期とよの後の2回この位置で建てられたと確認したそうです。
また、平成15年度の地下レーダー探査により、礎石の残る城跡の西方約55mの地点で、もう一つ
の城跡が発見されたそうです。その城跡には大規模な地盤固めの跡(版築・はんちく)があるのみ
で礎石は残っていなかつたとのこと。両方の城跡の建て替えとの明確な関係は把握できていない
とのことです。(調べ)
入居者の皆様、この場所に七重塔があったのかと初めて知り、驚いていました.
そろそろ皆様お疲れモードですので、アプリコへと戻り仕度。
国分寺跡からアプリコは近いので、送迎経路を少し変え府中方面経由にてアプリコ迄。
その様子を車内撮影。
桜まつりを行っていました。
桜通りも、桜満開!!
お花見会は大成功に終了しアプリコへと到着。
皆様お疲れさまでした。
さて次回の投稿は、〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇です。
皆様お楽しみに!!
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