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上野動物園と上野精養軒ランチツアー 未来倶楽部三郷・三郷弐番館

穏やかな気候の中、未来倶楽部三郷・三郷弐番館のご入居者様を対象とした合同外出レクリエーションが開催されました。目的地は、日本で最初に開園した動物園「上野動物園」と、日本にフランス料理を広めた草分け的存在と言われる、創業150年の歴史を誇るレストラン「上野精養軒」です。

この外出ツアーに参加いただきましたご入居者様は2施設合わせて16名です。加えてご家族様や施設からの付き添いスタッフを含め、総勢33名の団体となりました。車いす用昇降リフト付きの大型観光バスを1台チャーターして、皆さまを施設から快適にお連れいたします。

午前11時、ツアーバスは巨大な車体をものともせず一方通行の隘路(あいろ)をゆっくりと登りきり、上野精養軒駐車場に横付けします。車体側面の車いす専用リフトにて、お一人ずつ下車されるご入居者様をドアマンが丁重に迎えます。まずは上野精養軒のカフェラン ランドーレにてお食事です。このお店が築いてきた本格西洋料理の伝統を下敷きに、長年親しまれているハヤシライスやビーフシチューはお薦めのグランドメニューだそうです。ご入居者様は、このハヤシライスがセットされたパンダプレートを注文し、窓の外に不忍の池が広がる明るい店内にてゆっくりと昼食を楽しまれました。「やっぱりおいしいね。」、「たまの外食は良い気分転換になるよ。」皆さま、移動の疲れもどこ吹く風で笑顔が広がります。

お食事をご堪能いただいた後は、いよいよ上野動物園へ移動開始です。上野恩寵公園内で上野精養軒と隣接する動物園には、安全面を考慮して車いすでの移動となります。

さて、上野動物園と言えばジャイアントパンダです。現在、飼育されているパンダは2011年に中国から来たオスのリーリーとメスのシンシン、子どものシャンシャンです。正門広場すぐ右手にあるパンダ舎に向かうと、係員が特別に一般客は入ることのできないケージに近いコースへ招き入れてくれました。立ち止まることこそできませんが、車いすに座り視点が低くなっているご入居者様にも、視界を遮ることなくパンダをご覧いただくことができました。その後は自由行動となり、皆さま園内お好きなところへ銘々向かわれました。ゾウやトラ、ライオン、ゴリラなど、それぞれ自然の生息域を再現したようなケージ内を覗き込んでは、「やっぱり迫力あるね。」と動物の姿や仕草に感心されておりました。「昔、子どもがまだ小さかった頃、ここに手を引いて来たことがあるんだよ。それ以来、来ていなかったのでとても懐かしかったよ。」と、一人のご入居者様が目を細めながらおっしゃっていたのが印象的でした。

園内での滞留時間は約1時間と決して長いものではありませんでしたが、皆さまそれぞれの想い出を胸に楽しんでいただけたご様子でした。予定時刻となり駐車場で待機するツアーバスに再び乗り込んだご入居者様は、無事各施設にお戻りになりました。未来倶楽部では有意義な時間をご入居者様とご家族様にお過ごしいただくために、これからも皆さまの安全面に配慮しながら、さまざまな外出企画を設けてまいります。ご期待ください。

未来倶楽部保土ケ谷での 美術レクリエーション

「さあ、本日は先週に続いて、ダルマの制作を進めていきましょう。最後に顔を描き入れて完成させましょう。」美術レクリエーション担当職員の伊藤は、お集まりいただいたご入居者様お一人おひとりにお声がけしながら、皆さまの前に道具を揃え、制作の準備を進めます。ここは、神奈川県横浜市にある未来倶楽部保土ケ谷の食堂兼機能訓練室です。当施設では毎週木曜日に美術レクリエーションを開催しており、ご入居者様に作品を作りあげる楽しみと創造的な時間をご提供しています。

平成30年1月18日(木)この日は、前週に続いて新年を連想するおめでたい縁起物のダルマをイメージした作品制作の続きです。起き上がりこぼしにするため、重しには磁石を入れ、新聞紙を丸めて固めながら本体を作ります。後の発色や貼り逃しを防ぐために、習字用の半紙で表面を覆って下地を作るのがポイントです。さらに、手でちぎった赤い色紙を切り絵の要領で貼り着けながら本体を作ってゆきます。ここまでが前回までの作業の振り返りです。本日は、はさみで切りぬいた金色の福の文字を本体に貼り、顔の部分を筆で描き込みます。最後に願い事を考えながら、ダルマの左目に目玉を描き入れていただき完成です。

臨床美術士の資格を持つ伊藤は「単に作品を作る、見るだけではなく、指先や手のひら全体を使ってできるだけ五感を刺激し、その方の感性や心の内面を引き出せるようにリードしてゆきます。」と、美術レクリエーションの活動方針を説明します。臨床美術とは、彫刻家「故・金子健二氏」が医者やカウンセラーと協力し、脳を活性化させ認知症の症状改善を目指して開発した芸術プログラムのことです。近年では、正規授業として導入している大学もあります。

「私、ダルマの顔がうまく描けないわ。」と、おっしゃっていたご入居者様が、伊藤の描いた見本を手本に苦戦しながらも見事描き上げます。完成したダルマに目を描き込みながら「かわいいわね。」、「あんたのもおもしろいよ。」ご入居者様同士の会話も楽しく弾みます。それぞれの楽しみ方、取り組み方があるように、個性豊かなかたち、表情をした楽しいダルマたちが集合しました。

皆さま、ダルマへの願掛けの通り、今年もお元気に楽しくお過ごしくださいませ。

未来倶楽部三郷弐番館で行われる 絵画レクリエーションの模様

リハビリ強化施設である未来倶楽部三郷弐番館では、ご入居者様が生き生きと暮らしておいでです。当施設は1階に「リハビリルーム」、2階には「作業療法室」が設けられております。その「作業療法室」では、さまざまなレクリエーションが各専門職員たちによって開催されています。ご入居者様は、それぞれお気に入りのレクリエーションに参加し、日々の生活を楽しまれておいでのようです。

「私も、もうトシでしょ。いつもやめようやめようと思っているんだけど、ここに来るとついつい描きたくなってしまうのよ。」そうおっしゃるのは、美術レクリエーションに参加されている96歳のご入居者様で、昔から絵を描くことがお好きな方です。その画法は、画用紙に下書きを取らずに、直接水彩絵の具で描き始めるというやり方です。下描きをしなくてもモチーフの構図やプロポーションがしっかり取れています。おそらく、身体の一部のように自然と絵筆が動き、頭の中で思い描いたイメージ通りに表現できる感覚が備わっている方なのでしょう。完成した絵は、あえて紙の白を残した背景が周囲の空気感を表し、モチーフを立体的に浮き上がらせる効果を生んでいるようです。

「皆さま、絵を描いている時は対象に集中していらっしゃるからか、とても静かに落ち着かれているんです。」美術と絵画レクリエーションを担当する下山が、常に大切に思っていることは、絵の上手い下手ではなく、気軽に参加していただき、表現することを楽しんでいただくことだそうです。「作品を作りあげる過程で、指先を動かして感覚を磨いたり、完成させる達成感を味わっていただいたりして、楽しくご参加いただければと思います。」と、話します。また、「施設内で過ごすことの多いご入居者様に、草花や小物など絵のモチーフを通して、季節の移ろいや自然の持つ生命力を感じ取っていただくことで、生活の中で刺激や潤いをお届けできればと思っています。」とも。

「絵を描くためには、よく観察しなくてはならないでしょ。大変だけど自然のすごさを感じるわ。でも、皆でやるからとっても楽しいわ。」と、別のご入居者様は採色を続ける手を止めずにお話しくださいます。ご自身で描かれた絵は居室へお持ち帰りいただき、壁に飾ったり、ご家族のご来設時に見せて団らんに華を咲かせたりと、完成後もお楽しみいただいております。

未来倶楽部の絵画レクリエーションに参加されている皆さま、これからも真っ白な画用紙に向かってご自身の中にあるイメージを表現し続けていってください。

音楽レクリエーションスタッフによる 早春コンサート開催

未来倶楽部生田には、歌や音楽の好きなご入居者様が多数いらっしゃいます。その方たちにお喜びいただこうと、音楽レクリエーションの専門職員、松村、郷田、菅野の3名は、特別に早春コンサートを企画、開催することにいたしました。

2月7日(水)、3時のおやつの時間です。食堂にお集まりいただいたご入居者様に、おやつとお飲み物をご用意。そこへ力強いバリトンの歌声が食堂中の空気を震わすように響き渡り、ナポリ民謡「オ・ソレ・ミオ(私の太陽よ)」を歌い上げます。コンサート開始の合図です。音楽レクリエーションのスタッフ3人は、普段のユニフォームを着替え、ドレスとタキシードを纏って登場します。郷田が歌(バリトン)を、松村、菅野はピアノの伴奏を担当します。簡単なご挨拶と歌の紹介をはさみ、コンサートは続きます。「城ヶ島の雨」、「初恋」、「出船」など、ご入居の皆さまには馴染み深い昭和の歌や、勇壮な「闘牛士の歌(オペラ<カルメン>より)」などバリトンの声質にとても合う選曲です。あるご入居者様は「私は主人と4年間イタリアで暮らしたことがあるの。その時に行ったオペラのことを思い出すわ。」と、懐かしそうに思い出を語っておいででした。コンサートが予定のプログラムを終了したとき、ご入居者様からたくさんの拍手とアンコールの掛け声が沸き起こりました。

音大で声楽を専攻し、さらに大学院を卒業した郷田はプロのバリトン歌手としてステージに立ち、活躍した経験を持ちます。その当時、本人は多くの賞や名声への野心に溢れていたと述懐しています。そんな郷田の転機はイタリア留学時代に訪れました。地元のコンサートで出会った、ある無名の老人の生き生きした歌声に、郷田は思わず身体の芯から沸き起こる感情に突き動かされたそうです。さらに、その老人から本業は歯科医師であると聞かされたとき、深く心を動かされたと言います。その時、郷田は人々の心を震わせ、感動させることに大舞台や特別な賞、肩書がいらないことに気づかされたと言います。そして今、培った音楽の知識と才覚を活かし、未来設計のレクリエーションスタッフとして、ご入居者様のために働くことを決意した彼がいます。

郷田は、これからも音楽を通して、ご入居者様のお喜びのために活動してまいります。ご入居者様の拍手とアンコールが聞こえる限り、施設のステージに立ち、歌い続けます。

ご家族ぐるみで施設を盛り上げて 未来倶楽部川口新井宿

「スウー、ハクー。スウー、ハクー。気功は呼吸が大事ですよー。」穏やかな音楽に軽妙な話術を交えながら数十名のご入居者様はゆっくりと身体を動かし始めました。7月も末の土曜日、未来倶楽部川口新井宿で気功の指導をしていただいているのは、インストラクターの越(こし)先生です。とても76歳とは思えないほど張りのある声と身のこなしで、約40分間、気功教室は続きました。

越先生と気功との出会いは、胃癌のため胃を一部切除した54歳の頃だったそうです。その後2年を経て、気功の指導員となり、カルチャーセンターやスポーツクラブ、生きがい大学などさまざまな場所で指導を行ってこられました。ご自宅の近所の青木公園では、ボランティアで気功の指導を20年以上も続けていらして、毎朝ご高齢の方々が40~50人くらいは集まるそうです。また、民生児童委員として18年間勤め、埼玉県知事から金のネクタイピンを贈呈されたり、感謝状をもらったりするほど地域に貢献された方です。

越先生がこの施設で気功を教えるようになったのは、奥様がここにご入居されたことがきっかけでした。奥様はALS(筋萎縮性側索硬化症)というご病気で、先生はご自宅で奥様を介護していました。しかし、長期にわたる老々介護に限界を感じて、奥様のご入居を決意されました。今はほぼ毎日、施設を訪れているそうです。他のご入居者様とも顔なじみで、気功の時間には名前を呼んでお声がけするほど、施設に溶け込んでいらっしゃいます。

納涼祭の盆踊りの練習では、率先して踊り方をご指導くださいました。当日は大盛況で、嬉しさのあまり歩行器を手放して、踊りだすご入居者様もいらっしゃったとか。また、先生のお嬢様もご友人のグループと、ゴスペルのコーラスを施設で披露されました。今年のクリスマスにも施設で唄う予定が決まっているそうです。

縁あって奥様がご入居され、越先生はご家族ぐるみで施設に関わってくださっています。もちろんご入居された奥様への思いからくるご厚意とはいえ、老人ホームとご家族との素敵な関係のひとつではないでしょうか。

未来邸日本橋 まちの魅力

徒歩圏に多彩な施設が充実し、高い生活利便を実現する中央区日本橋。界隈には、江戸時代より続く老舗が数多く存在します。また、急な坂道がないことからも、ご高齢者にとって歩きやすい街でもあると思います。そこで、今回は未来邸日本橋の周辺にある「まちの魅力」をご紹介したいと思います。

施設からほど近くには、隅田川両岸に沿って整備された憩いの場「隅田川テラス」があります。周囲の景色を眺めながらの遊歩道は、散歩やジョギングコースとして多くの人たちに親しまれています。川沿いを歩くと、今まで知ることができなかった隅田川の素晴らしさ、懐かしい面影に出会えるかもしれません。

隅田川から西へ進むと、日本橋蛎殻町では安産・子授け祈願で江戸時代より人々から親しまれてきた「水天宮」があります。その成り立ちは福岡県久留米市の水天宮を総本社とし、文政元年(1818年)有馬公が久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まりとなっています。

水天宮を北西へ進むと「人形焼 重盛永信堂」が見えてきます。1917年創業。人形焼の老舗。水天宮への参拝客などでいつも賑わっています。当時たいへん貴重だった砂糖や卵をふんだんに使用した人形焼は、味と形を守り続け今も昔も変わらず人気があります。

さらに北へ歩みを進めると、古民家風の佇まいが見えてきます。明治28年創業の老舗すき焼き店「人形町 今半」です。創業以来、最高の牛肉を提供することを使命とし、伝統を守り続けてきました。落ち着いた大人の雰囲気の店内もおすすめです。

人形町より日本橋方面へ。首都高速都心環状線高架下、日本橋川に架かる中央通りの橋「日本橋」があります。日本の道路起点「日本国道路元標」があり、江戸幕府より五街道の道路網起点として定められています。橋中央に埋設された銅版は当時の総理大臣佐藤栄作氏によるもので、四隅の親柱に漢字とひらがなで刻まれたレリーフは、徳川15代将軍徳川慶喜公が揮毫したものです。

日本の中心地として古くから大切にされてきた日本橋は、新旧の要素がうまく溶け合った多様性のある街となりました。日本橋へお越しの際は、散策がてらお立ち寄りになられてみてはいかがでしょうか。